今日は仕事を午後半休して聖隷三方原病院へ診察に行ったあと、
「聖隷歴史資料館」へ行ってきました。
病院に隣接する大学の一画に資料館はあります。
以前からウォーキングでよく通る場所で、長男がここの系列高校に入学したこともあり、
ずっと行きたいと思っていました。
で、病院に行ったついでに行けちゃうという、、
施設集積度の高さ!
もうね、まさにゆりかごから墓場までデスYO!(本当に墓園まである!)
資料館は私設の小さなものですがとても充実していて見応えありました。
4月に長男の高校で理事長先生の講話があり、そこで「聖隷の黎明期時代」のことは一通り聞かされていたので、今日は「あぁコレがアレね」と結びつけて見て回ることができました。
特に!
結核患者を受け入れたたためにひどい迫害を受け、資金も食べ物も底をつき、もうこの事業を止めよう・・と覚悟を決めた昭和14年のクリスマス・イブ・・
からのなんと天皇陛下からの「特別御下賜金」がクリスマスに届いた・・!一発逆転!迫害がピタッと止んで窮地は救われた・・!というくだりは何度聞いても鳥肌です!
#コレでワタシもアナタも、聖隷信者^^
うぉ~コレがその時の金一封と書面(実物)。
当時としては大金。これで経営危機を脱し、財団を創る基金もできたんだそうな。
↓当時の医療機器とか、コワすぎる(((゚д゚;;;))
ワタシも家族もキリスト教信者ではないし今後もならないと思うけど、聖隷の精神って博愛、隣人愛、社会貢献を言ってるのであって、別に宗教じゃないんですよね。
単に医療・福祉事業をずーっと昔に始め、やり続け、拡大し続けている巨大な事業団なわけです。
ことに浜松市西部の住民にとっては「聖隷病院」は身近にあってお世話になってる人、多いはず・・。
ワタシ自身もたぶん生まれる前から現在まで、ずーっとお世話になりっぱなしです。
まず・・ワタシは聖隷住吉病院で生まれたらしい(らしい、というのは確証が無い)。
その後、子供の頃は母がずーっと住吉に入院していて最期まで診ていただいた。毎日お見舞いに行って、帰りに(今は無き)松菱マートで買い物するのが日課だった。コンビニなんて無いころね。今は住吉の検診センターが建っている角、あそこが広い駐車場になっていて、リンゴの木の形の大きな看板が立っていたので「リンゴの駐車場」と呼んでいました。
時は流れ、6年ほど前・・また住吉のお世話になりました。
左腕の手術を受けたのです。原因不明だった激痛をここの整形の名医「オレ様先生」が執刀してくださり、完治はしなかったけど劇的に改善した。今でも大感謝している。
そして、去年ね。脳梗塞でまた住吉へ。
三方原聖隷の方は、現在も婦人科系でかかっています。
左腕の激痛も最初はこっちで診てもらっていたっけ。
毎年の人間ドックも同じく三方原の方で受けています。
あ、そうそう次男が骨折したときも、三方原の救急と整形外科にかかりました。
そしてそして、今年。長男が系列の高校に入学しました。
まぁ・・なんと生涯に渡っていろんな場面でお世話になっていることでしょう。
いつも
身近に聖隷があるって感じ。
なのに聖隷のことあまり知らなかった。
今日、歴史館を見ておいてよかったと思うのです。
みなさまもお時間があればぜひ。
一見の価値あります。開館は平日の昼間だけですが、誰でも見学できます。
「聖隷歴史資料館」は聖隷クリストファー大学内にあります。
↓「聖隷歴史資料館」のサイトはこちら
http://www.seirei.ac.jp/history-material-pavilion/annnai.html